~和合亮一の「詩の礫」による合唱カンタータ ~
和合亮一 原詩 伊藤康英 構成・作曲
2012年7月15日(日) ザ・シンフォニーホール
豊中混声合唱団 第52回定期演奏会
指揮:西岡茂樹 ピアノ:伊藤康英
左より 和合亮一 西岡茂樹 伊藤康英
プロローグ あなたへ
第一曲 絶対
第二曲 嵐・雲・光
その一 何億もの馬
その二 ベン・シャーンに寄せて (アメリカが放射能の影響を考慮して「ベン・シャーン展」絵画貸し出しを福島だけ拒否したことについての2012年2月26日のツイートによる)
その三 涙が泣いている
その四 いまこの世界に
第三曲 明けない夜は無い
エピローグ 大切なあなたへ
昨年3月の東日本大震災の6日後から、福島在住の詩人・和合亮一さんはインターネットを通じて多くの詩を投稿していた。むさぼるように詩を読み、16曲の歌にして、福島と東京とでコンサートを行ったのは、昨年6月だった。
豊中混声合唱団と和合さんとは以前からの付き合いがあったとのこと。そのご縁が、たまたま私と豊中混声合唱団との縁へと繋がり、今回の新作のきっかけとなった。
しかしすでに昨年のうちに、和合歌曲のうちの「貝殻のうた」と「いまこの世界に」は、混声四部合唱版を同団のために作っており、しばしば歌ってくださった。それをぼくが初めて耳にしたのが昨年12月。なんと美しいハーモニーと表現力を持っているのだろうと思い、今回の作品のイメージへと繋がっていった。
歌曲として作った「あなた」をメインに据え、「いまこの世界に」と「明けない夜は無い」を取り入れ、全体を構成した。和合さんの、比較的震災直後の詩を使った。ほとんどが昨年3月中のものである。
第二曲を括るタイトル「嵐・雲・光」は、和合さんがしばしば引用する宮澤賢治の言葉「新たな詩人よ/嵐から雲から光から/新たな透明なエネルギーを得て/人と地球にとるべき形を暗示せよ」からと考えることもできよう。一方、和合さん自身、この震災を嵐に、震災後の混乱を雲に、そして復興を光になぞらえていた(と記憶する)のだが、そうした嵐から光への流れを感じ取って もらえたらと思う。
その中の「ベン・シャーンに寄せて」は、この曲を作曲しつつあったある日の朝、和合さんの憤りがインターネットから飛び込んできたその一部を、すぐさま曲中に挿入したものである。日本各地でベン・シャーン巡回展を行うに際し、福島だけは放射能の心配から、アメリカの美術館が貸し出しを拒否したというのである。
ベン・シャーンは、ビキニ環礁での原水爆実験で被曝した第五福竜丸の乗船員をテーマに、「ラッキー・ドラゴン」シリーズなどを 描いている。福島でこそベン・シャーンの全てを今展示することに深い意味があるのではないか。
この文章をしたためている本日は6月15日。きのうはシンガポールの音楽仲間からメールがあり、日本に来る予定が、家族が放射能を心配しているので来られなくなったとの知らせ。こんなときに、大丈夫だからおいでよ、とは言えまい。なにしろ放射能のことはまだ何も解決されていない。福島はまだ救われてはいない。その一方で明日にも大飯原発は再稼働してみせるという矛盾。
納得がいかないことが多いこの時代に、この作品により、少しでも福島に思いを致すきっかけとなればと思う。
この作品を生み出すきっかけとなったたくさんの方々と、そうした人々との繋がりに感謝します。
震災から1年と4ヶ月近くが経ちました。
豊中混声合唱団、そしてみなさんとまた、固く手を握り合うようにして、お会い出来ますことを、とても嬉しく思っております。
震災からの出口の見えない福島を、ありのままにそのままに詩に書き続けてきました。 言葉と見つめ合っていると、今の日本の社会が抱えている難しさの深みと直面します。震災後、私たち日本人は様々な考えの中で、それぞれの温度差を抱えながら暮らしているのかもしれません。それは被災地の中でも同じ様子です。
まずはこの心の温度の差異をなくさなくてはいけないと思います。
歌が音楽が、私たちの目の前に横たわるいくつもの川に橋を架けて、心をつなげてくれる架け橋になると信じています。
誰も知らない野原を 誰かが歩いた足跡がある
次の誰かがまた その上を歩いたから
足跡はやがて 小さな道になる
誰かの一人となって 私もこの道を歩いていこう
関係者のみなさまに深く感謝を申し上げます。本日はありがとうございました。
この前、和合亮一さんとご一緒したのは2年前のこと、相変わらず満面の笑顔とパワーが漲っていて、奥様と息子さんの3人で人生を謳歌しておられた。そして確信に満ちた言葉でこう言われた。「僕は福島が大好きです!」小学校6年生の息子さんは「僕は大きくなったら物書きになります!」とやはり笑顔で話してくれた。
それが、まさかこのような形で再開することになるとは、いったい誰が予想できたであろうか!
3.11の直後、メールや電話でコンタクトを試みたが反応はなく、たいへん心配したが、やがてツイッター上で健在な姿を見つけた時、私たちは胸をなでおろしたのだった。
しかし、同時に3.11とそれ以降に和合さんが直面した現実を知れば知る程、私たちは言葉を失った。そして和合さんがツイッターに書き綴った思いを、私たちは合唱という媒体を通じて、世界へと伝えていくお手伝いをしたいと思うようになった。
ちょうど、そんな時、私は偶然、和合さんのツイートをもとに伊藤康英さんが作曲された歌曲を見角悠代さんが歌っておられる映像をYou Tubeで見つけた。それはたちまち私の心を捉え、私はすぐに伊藤さんにご連絡した。するとすぐに大量の楽譜が送られてきた。それが今回の委嘱の出発点となった。
私は和合さんが何度もツイートに書いておられた『明けない夜はない』という言葉が耳から離れなかった。それは伊藤さんの作曲により、すでに歌曲になっていたが、その抒情性を湛えた劇的な表現はまことに素晴らしく、この曲を核にして合唱組曲を書いていただけないかとお願いした。
今年の1月ということでお願いしていた委嘱曲の完成は、結局、2月末までずれ込んだが、その結果、ベン・シャーンの事件が組み込まれることになったのは、不幸中の幸いであった。
私はこの3月に福島市を訪れた。街は一見、平穏を取り戻しているかに見えたが、街中を悠然と流れる阿武隈川の河原に下り立つと、そこに看板が立っていた。何かと思って見てみると、「この辺りは放射線量が高いので近づかないでください」と書いてあった。これが福島の現実なのだと思い知らされた。
復興は気の遠くなるほど長い道のりだろう。私たちもまた息の長い活動をしていきたいと思っている。それは、「いのち」「愛」「平和」を歌ってきた豊混としての当然の使命なのだから。