蜜蜂と鯨たちからの信頼を取り戻すために!
客演指揮者 西岡茂樹
(豊中混声合唱団常任指揮者、日本合唱指揮者協会員、大阪府合唱連盟理事)
昨年、関混連の役員の方から来年の定期に客演を、とご依頼があった時、とても光栄なことと喜ぶ気持ちと同時に、少し驚きも感じた。というのは、一般的に言って、大学生の皆さんの合唱への取り込み、レパートリーや演奏スタイルは、私から見ると、やや保守的な傾向であると感じていた。しかし、私の合唱人生は、それとはやや離れた水脈で流れているからである。
私の指揮活動の基本方針は『世界に誇ることができる日本固有の合唱芸術の創造』であり、これまで現代日本の創作家の意欲的な作品、委嘱初演を含めてとりあげ続けてきた。もちろん『伝統』を軽視しているわけではないし、単に目新しさだけを追っているのでもないし、いわんや『国粋主義者』でもない。
『伝統』は、単に守るだけでは衰退していくのであり、常に新しく創造し続けることにより、はじめて輝きを持ち続ける。今を生きる一人の人間として、コンテンポラリー(同時代)の世界感覚に常に鋭敏でありたい。そして、自国の文化に立脚した日本語による誇りうる合唱曲をもたない限り、海外からは決して信用されることはない。自国の文化を大切だと思う心は、当然、他国の文化を大切にするその国の人々への共感につながるはずである。この認識が私を動かしている。
しかし、そのような私の指揮活動に着目して、「変なヤツだけど、一回、付き合ってみるか・・・」と思ってくださった役員諸氏には大いに感謝したいし、ここ数ヶ月、いろんな団や指揮者とお付き合いして、必ずしも私が思っていたような体質一辺倒ではなかったので、今は、私自身の不勉強を恥じているところである。
さて「蜜蜂と鯨」であるが、この曲は私の指揮の師匠である田中信昭先生の指揮活動50年記念に東京混声合唱団が委嘱した曲であり、2001年12月に初演されている。2群の混声合唱団とピアノという編成で書かれており、東混は、この曲をもって全国を周り、地元のアマチュア合唱団がA群、そして東混がB群を歌って共演するという活動を続けている。
1曲目の「鯨たちに捧げる」は、鯨が毎年、新しい歌を作曲し、それが仲間の間で流行し、新年には一斉に海の中で歌い出すという、ウソのようなホントの話を白石かずこさんが素敵な詩に書き綴っている。特に、ザトウクジラの歌は素晴らしく、また海の中のサウンド・チャネルと呼ばれる層を利用して、何千キロと離れた鯨同士がコミュニケーションするなど、この曲のおかげで私も鯨博士の仲間入りをした気分である。
考えてみると、鯨たちは5000万年も前から海で暮らしていたのであり、人間は高々400万年くらいの歴史しかもっていないのであるから、私たちには想像もつかないような世界を持っていても何ら不思議ではなかろう。そして海の中でドカンと核爆発の実験をする野蛮な生物のことをニガニガしく思っているのに違いないのである。
曲の前半は白石かずこさんが書いた日本語の詩を、2群の合唱があたかも二匹の鯨の会話のように歌い、後半は同じ詩をRoger Pulvers氏がとてもお洒落な英語に翻訳し、それを1群の合唱になって歌うという、とても凝った曲。三善先生も「人間もちょっといいメロディーもってるじゃないか」という鯨の言葉に発奮されたのだろうか…。
2曲目の「さまよえるエストニア人」は、大国に翻弄され続け、1991年にようやく独立を勝ち取ったバルト三国の一つ、エストニアに住む詩人のヤン・カプリンスキーが主人公。蜜蜂の巣箱をいくつか持っていた広い庭園のある祖父の家で1941年に生まれたヤンは、生後5ケ月の時、ポーランド人で大学教授だった父をスターリン率いるソ連に強制連行されて失う。ついで1943年、今度はヒトラー率いるナチスドイツが西からエストニアに侵攻、広い庭園のある家を追い払われ、街の共同住宅からシェルターを逃げ回ることになる。やっと第二次大戦が終結したかと思えば、今度は東西の冷戦時代。ヤンに平安が訪れるには、ベルリンの壁が壊れる1989年以降まで、さらに四十数年も待たねばならなかった。
このヤンのことを、白石かずこさんは、ワーグナーの「さまよえるオランダ人」にひっかけて「さまよえるエストニア人」と呼んだのだった。
三善晃先生は『地球上の人間同士の共存、人間と自然の共存を念ずる21世紀への祈りを、この二編の詩に託した』と書いておられるが、「戦争の世紀」、あるいは「自然破壊の世紀」とも言える20世紀を超えた今も、地球は危機的状況にあり、ひび割れている。
しかしフルートを吹く天使のような少年、あるいは悲惨な運命を乗り越えて詩を書き続けるヤンを見て、鯨は“まだみ捨てたモンでもないネ”と呟き、蜜蜂は“今こそ、帆をあげよ!”と激励する。
私たちは諦めるわけにはいかない。どんな絶望的な状況があっても、諦めるわけにはいかない。それこそがこの地球に生を受けたものの責任なのだと思う。
三善先生の楽譜は、決して単純ではない。しかしそれは、この状況をどう認識し、そこからいかに未来の光を見いだそうとするのか、という困難な問いに生命を賭けて向き合われた結果であることを思う時、当然の帰結であることが理解できる。つまり、どの一つの音符、休符ですら、激しい祈りを宿している!
私は二十歳の時に三善先生と運命的な出会いをして以来、ひたすら三善先生を追い続けてきた。これまでに合唱曲として「伝説」「詩の歌(女声篇)」「葉っぱのフレディ」を委嘱初演したし、「新しいうたを創る会」からも歌曲を数曲委嘱した。他にも多くの曲の初演に、ステージで、あるいは客席で立ち会った。そして、たった一度ですら、期待を裏切られることはなかった。それは、第二次世界大戦の時、心身ともに死にかけた三善先生が、戦後の荒廃の中から、再び、立ち上がってこられた時の「生」に向かう強靱なエネルギーが、70才を超えられた今も、激しく吹き上げているからに違いないと信じている。
さあ、21世紀の主役である学生諸君! 今こそ君たちの生き様と困難に立ち向かう姿を見せてほしい。そして、蜜蜂と鯨たちからの信頼を取り戻そうではないか!
虹の向こう(Over the Rainbow)には、きっと幸せの国があることを信じて…
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