KNUT NYSTEDT作品集
NYSTEDTは現代ノルウェーを代表する作曲家であり、実に多くの素晴らしい合唱作品を書いている。日本の合唱団にも人気は高いが、豊混としては初挑戦。何を歌うか迷いに迷ったが、結局、良く知られているオーソドックスなア・カペラの3曲に落ち着いた。
「Laudate」と「I will praise thee, O Lord」は、それぞれラテン語と英語による神への讃歌であり、いずれもきわめて明快かつ簡潔な曲である。
「O Crux」はNYSTEDTの代表作として名高いが、実際、歌ってみてその真価を実感した。前述の2曲と様相は大きく異なり、「Crux」すなわち「十字架」を核に据え、その周囲を時には激しく、時には繊細に、デリケートな和声が幾重もの「受難」の衣を着せていく。巨匠NYSTEDTの面目躍如たる名曲と豊混の心と技がどう咬み合うか、喜びと恐れが相混じる心境で開演を待っている。
西岡茂樹
《伝えてよ、鳥たち。地球の上に、地平の彼方にも》 三善晃
大阪府合唱連盟から、第40回記念大阪府合唱祭の合唱曲の作曲を頼まれ、候補テキストとしての詩をかなり多く提供していただいた。趣旨として、「ひたむきに生きてゆく」ための真実・勇気・喜びを謳い、子供たちとそれを共有し、そのかたちで彼らにそれを伝えてゆくこととされた。21世紀の始まりが、現今の世界情勢に見られるような悲しむべき状況になった今日、この願いは人類の、むしろ切実な祈りでもある。だが、それにしては集まった詩は視野が限られているように感じられ、この普遍的かつ現実的な思いを託するにはためらいがあった。
西岡茂樹さんは《葉っぱのフレディ》を推された。初め、私はこれにも躊躇した。これは散文であって詩ではない。しかもその物語の表現は、美しい絵あってのものと思われた。
思案中の私に、西岡さんは控えめに、池田小学校の被害とその周辺の親子たちの心について語った。西岡さん自身もその一人だった。私は西岡さんの言葉を幻聴しながら《葉っぱのフレディ》を読み直した。
親子の心は「周辺の」に限らない、「日本の」いや「人間の」心の谺として私の裡に聴こえてきた。ある意味で、懐かしい谺だった。物質界から生物界が、更に生物界から心の世界が、入れ子のよう生まれているのではないかという自然科学者たちの謙虚な仮説も、この谺と響き合った。すると《フレディ》の絵から、私の言葉と歌が、手紙を銜えた鳥たちの群のように翔び立っていった。私はその鳥たちの飛翔の跡を五線紙に書き留めた。生きている私たちには見えないところまで、鳥たちは手紙を−祈りの音信を−携えて翔んでいってくれるだろう。
(第40回大阪府合唱祭 初演時のプログラムより転載)
豊混は「青少年の合唱活動を支援する」ことを基本方針の一つにおいている。豊中少年少女合唱団は、2001年に豊混の支援により設立された団体であり、以来、それぞれの定期演奏会に相互に賛助出演して交流を図っている。このステージでは、さらに輪を広げ、近隣で頑張っている中学校、高等学校、大学の合唱団にも加わってもらい、まさに幼稚園から熟年まで、すべての世代が歌で交流を試みる。そこで交される生命の鼓動とその連鎖は、合唱の未来、人類の未来に対する確かな手応えを与えてくれるに違いない。
「葉っぱのフレディ」は2003年6月21日・22日、三善先生の立ち会いのもと、第40回大阪府合唱祭で初演された。その時、三善先生は「大きな木」の存在について熱っぽく語られた。「そこに大きな木があったから、フレディたちの新しい生命が芽生えたのです」と。大きな木とは「親」であり「自然」であり「地球」ということだろう。大人と子供が共に歌い合う曲として、これほど相応しい曲はないだろう。この曲を日本全国に植樹して回るのが私の夢である。 西岡茂樹
〈骨のうたう〉作曲ノート 新実徳英
竹内浩三の詩による作品はこの〈骨のうたう〉が第二作である。第一作は東京六大学男声合唱連盟の委嘱初演によりこの5月に発表した〈日本が見えない〉であった。
竹内浩三は1921年三重県宇治山田市の生まれ。1945年、23才でルソン島バギオにて戦死。戦死公報に添付された「死亡認定理由書」に「敵陣地の斬込及敵戦車の肉薄攻撃戦斗に終始して同年4月9日同付近の斬込戦斗に参加し未帰還にて生死不明なり」とあるとのこと。
浩三は自分が書いたとうりに死んでしまった。「戦死やあわれ/兵隊の死ぬるやあわれ/遠い他国で ひょんと死ぬるや/だまって だれもいないところで/…。」「白い箱にて 故国をながめる」こともなく。
生前、谷川雁がふと「戦争はせつないよ」と語るでもなくつぶやいた時のことが忘れられない。浩三の死、そしてその背後にある無数の「浩三」の死はあまりにもせつなく、なにものをもってしてもその空虚を埋めることができない。
が、浩三の詩の真実は今、僕たちの時代を照らしだす。その真実を音の形にすることで、空虚を埋めることなどとてものことできはしないが、戦後ならぬ戦前の様相を呈しつつある今という時代に、なにもしないで指をくわえているよりはずっとましではなかろうか。浩三よりも30年も余分に生き、なおかつ未熟なままの僕の精一杯の共感と愛と、そして僕なりの叫びを「音」に込めたつもりである。
姉の松島こうさんが昭和51年バギオを訪ねられ詠まれた歌から一篇をご紹介させていただきこの小文を結ぶこととさせていただく。
弟の魂よ今こそわが胸に憑きて帰れよふる里の地へ
(『愚の旗』成星出版)
(だかあぽこんさあと 初演時のプログラムより転載)
「骨のうたう」は、合唱指揮者、栗山文昭氏の「人生60年、指揮者生活30年、第20回中島健蔵音楽賞受賞コンサート」のために新実徳英氏が作曲されたもので、栗山氏の指揮、合唱団
響 により、2002年11月4日に初演された。
東京オペラシティまで聴きに出かけた私は、とにかくこの曲を聴いて大きな衝撃を受けた。人間の声の集合体がこのような音楽空間と精神空間を造ることができようとは! 即座に「豊混でも歌ってみたい」と思ったものの、果たして豊混の力で歌えるのか、躊躇があった。しかし、ますます危機的な様相を深めつつある世界を前にして、今、この曲を歌わずしてなんぞ合唱人たるや! と決意し、両氏にお願いして楽譜をいただき取り組むことにしたのであった。
けれど…やはり“骨のある曲”だった… 今宵、竹内浩三、そして彼に連なる無数の無念の死者達に手を合わせながら、ただただ全身全霊で歌うのみである。 西岡茂樹
「亡命地からの手紙・道しるべ」について 萩京子
私はこのふたつの詩を、アジア・アフリカ詩集(高良留美子訳)のなかに見つけた。この詩集は、アジア・アラブ・アフリカという3つの章に分かれている。
この詩集に出合うまでは、私はアラブの詩を何も知らなかった。しかしダルウィーシュをはじめとして、アドニスやサイヤーブの詩にたちまちひきつけられた。
高良留美子訳であるところの特徴かもしれないが、どの詩もくっきりしたイメージを喚起する。直線的なことばで迫ってくる。
私は、1941年生まれのマフムード・ダルウィーシュの『亡命地からの手紙』を、豊中混声合唱団のための合唱曲のテキストとして選んだ。ダルウィーシュは、吟遊詩人的な(と言ってさしつかえなければだが)、声に出して読まれるべき、あるいは歌われるべき詩としてのことばの質を持っていると思う。彼の作品である『さすらうギターひき』などは、ロルカと共通するものを強く感じた。
『亡命地〜』に出てくる住所ということば。住所という単語がこの詩の鍵であろうか。住むところ、生きる場所を失う、とはどういうことか。自分の意志でなく、生まれ育った土地から遠く離れなければならない、とはどういうことなのか。「ぼく」という一人称で書かれているこの詩から、無数の人たちの思いが立ちあらわれる。(混声合唱曲として作曲したいと思った理由はそこにある。)
「住所もなしに……」で終わっているこの詩を受けるかたちで、私は、ホー・チ・ミンの『道しるべ』を連歌のような意味合いで、後に置きたいと思う。この詩は、「獄中日記」より、となっている。獄中で、だれかを、あるいは自らをはげます思いが込められているだろう。
私は、住所を失い、地球上をさまようすべての人々が、私たち自身の道しるべである、という思いを込めてこの曲を作曲した。
萩京子さんは、いうまでもなくオペラシアターこんにゃく座の作曲家としてのイメージがあまりにも強烈であるが、その創作に流れる歌の姿と心に深く感銘を受けた私は、是非、合唱の領域にも、新風を吹き込んでいただきたいと常々考えてきた。
幸い、昨年は、山口県の女声合唱団「あい」と大阪の女声合唱団「アルモニ・レジュイ」の共同委嘱という形で、石垣りんさんの詩による「地図にない川」を委嘱初演し、またこの3月には、豊中少年少女合唱団で長田弘さんの詩による「ファーブルさん」を委嘱初演した。
これら2曲は、期待を遙かに超えた曲であり、ありきたりの合唱とは一味も二味も違う、新しい合唱の可能性を提示してくださったのであった。
豊混が委嘱にするにあたっては、二度に渡り、練習に見学に来てくださり、練習後の飲み会にもお付き合いくださった。そして「愛と平和」を歌い続けてきた豊混にふさわしい曲、そして真に挑戦的な曲として構想されたのが、「亡命地からの手紙・道しるべ」である。
前2作と同様、作曲は遅れに遅れ、最後の譜面が届いたのが今から3週間前、その後の練習においても改編が続き、不器用な豊混としては、まさに悪戦苦闘の日々であったが、しかし、その苦労に値する素晴らしい曲を創ってくださった。
パレスチナとベトナムという大国に翻弄された歴史をもつ国々において、祖国の喪失、アイデンティティの喪失の荒波にさらされながらも、強靱な意志の力によって善く生きようとする二人の言葉は、圧倒的であり、しかも謙虚である。そこで歌われる祖国愛、人間愛は、個別的であると同時に普遍的である。
混迷を深める21世紀の世界に直面する私達は、合唱という集団の営為を通じてその深層を探知し、人と共に生きる勇気と喜びをもらってくることができるのではないだろうか。
萩さんへの熱い期待は、ますます高まるばかりである。 西岡茂樹
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