地球へのバラード 曲目紹介

「人間をふくむ生命の星としての地球への愛を歌いたい」との東大柏葉会の意向を受けて、三善晃氏が「バラード」を書かれ、初演されたのは1983年のことである。そして私は1986年に豊混の副指揮者として、豊混の定期で「バラード」を振っている。

ちょうど、世界ではようやく東西冷戦の緊張が緩和に向かい始め、日本も高度経済成長の終焉によって人間と社会を見つめ直し始めていた時期である。IUCNや UNEP が「持続可能な開発」なる概念を提唱したのは1980年のことである。私たちは「宇宙船・地球号」なる認識を持ち始めたのだ。

しかし、その後20年を経て、世界は、私たちはどうなったのだろう。
確かに「ベルリンの壁」は崩壊したが、また新たな別の壁が今も造られ続けている。ミサイルが建物を破壊し、人を殺戮し、社会を破壊したかと思ったら、そのすぐ後から、莫大な金をかけて復興事業をしている。核保有国は増え、森林伐採は進み、地球温暖化はもはや待ったなしの状況である。
日本は、性懲りもなくバブル経済へと進み、その崩壊とその後の失われた十年により、経済にも、社会にも、そして人々の生活にも心にも、大きな傷跡を残してしまった。身の周りでは考えられないような事件が起こる。

今、この20年間はいったい何だったのだろう、と自問してみる。今宵の演奏は、それに対する一つの答となるだろうか。

谷川俊太郎氏の詩は不変、しかしその言葉の重さは時の経過と共に増す。三善晃氏の音もまた不変、しかしその祈りは時の経過と共に深くなる。

三善氏はカワイから出版された楽譜のノートにこのように書かれた。「そこに地球が浮いている。何ものにも支えられず、しかしすべての生命を支えながら。」と。

この星の上で、すべての生命の営みは絶え間なく繰り返し続けられてきた。その悠久の時の流れにおいては、ヒトもまた大自然の一部。わずか二千年余りの間に破綻をきたした人と自然の共存、人と人の共存という当たり前の生存原則に、今、私たちは立ち戻る勇気を持たねばらない。そして「何度でも帰って来よう」と言える私たちの故郷、この世界、この地球を、焼け付くように焦がれ、そして歌いたいと思う。

私にとっても20年ぶりの再演。渾身の「浪速(なにわ)のバラード」をどうかお聴き戴きたい。


2005年7月2日 豊中混声 第45回定期演奏会 西岡茂樹