高田三郎先生の合唱作品の中でもひときわ高く聳え立っているのが、いわゆる聖書三部作「イザヤの預言」・「争いと平和」・「ヨハネによる福音」であり、「イザヤの預言」はその第一作にあたる。 《私は日本の人々にも、この聖書を知ってもらいたいと切に思うようになっていった。この切なる思いの理由もいつか述べたいと願っているが、やはり旧約聖書中の預言書による合唱作品の作曲によって、と思い始めたのである。》 確かに、多くの日本人にとっては「預言」と「予言」の区別すらつかないほど旧約聖書は馴染みが薄いが、いうまでもなくキリスト教は、新約聖書と共に旧約聖書をも聖典としており、新約と旧約は密接不可分の関係にある。また旧約聖書は、キリスト教のみならずユダヤ教、イスラム教の共通の聖典であり、神と人との契約に関する膨大な知恵が溢れている。 つまり音楽之友社から出版されている楽譜のノートに記された高田先生のお言葉によると、《旧約の預言文学では、後の時代に起こった出来事によって、前の時代の出来事の記述に新しい、“予型”としての意味が加えられていった。この延長線上にある新訳中最大の出来事、イエズス・キリストについて、特にその受難と死はこのイザヤの預言に深く関わり、キリスト者はキリストを中心としてこれらのことばを考えるのである。》 さて、「イザヤの預言」はイザヤ一人の作ではなく複数の人物によって書かれたとされており、作曲では、第一曲から第三曲までは第二イザヤ、そして終曲では第三イザヤと呼ばれる部分が使われている。 第一曲はイスラエルの歴史から紐解かれる。イスラエルは紀元前922年に北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂していたが、まず東から勢力を伸ばしてきたアッシリア帝国がイスラエル王国を滅ぼし、さらに後にはアッシリアに代わって勢力を伸ばしたバビロニア帝国がユダ王国の首都エルサレムを陥落させて滅ぼす。こうしてイスラエルの民は捕虜となり、1600kmも離れた遠い異郷の地バビロンに連行され、約50年間補囚の生活を強いられる。やがてペルシア帝国がバビロニアを滅ぼし、イスラエルの民は解放され、エルサレムに戻ってくる。第二イザヤは、この苦難は人々が神との契約に背いた罰であり、そしてその開放は神の許しであると説く。神が帰還のための道を整え、人々を故郷に導く様が大きな感謝と共に歌われる。 第二曲は、イザヤ書に特徴的な4つの「僕(しもべ)」の詩の第一である。神の声がする。「これは わたしが支えるしもべ、わたしが選んだ心にかなう者。」僕とは、《忍耐をもって救いを述べ伝える特別の個人であり、あるいは、自覚した第二イザヤ自身とも考えられている。》ここでは、僕が多くの困難を乗り越え、ついに神の救いのわざを地に打ち立て、それは海の彼方まで広がるとされる。 第三曲は、全四曲の中核を成し、僕の苦難とその死を激烈に描かれてる。その描写は凄惨であり、しかもその懲罰が私たち民の罪のためであり、その許しのためであるとされる。激しい緊張と動揺が僕の死によって静まった時、それは神のみ旨であったと告げられる。言うまでもなくキリスト者は、この壮絶なドラマをキリストの受難に重ね合わせて見るのである。 終曲は、「主である神の霊は、わたしの上にある。神は わたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。」と《預言者の召命の告白》がなされる。前曲から曲調は一転し、神への信頼、そして大きな喜びと安らぎのうちに全四曲が結ばれる。
本日の演奏は、力不足そして練習不足の誹りを免れないだろうが、高田先生と須賀先生から教えていただいたことを核に据え、私なりの美学と哲学を注ぎ込んだ演奏の第一歩になればと思っている。 |