アルモニレジュイ 第8回コンサートのために書いたプログラムノート   2008年10月31日 

西岡茂樹

■明治からの唱歌と愛唱歌  

2007年4月、「Tokyo Cantat 2007」の委嘱で、栗友会の合唱団により同演奏会で初演されている。明治の文明開化と共に、音楽の分野でも欧米に学び追い越せとの動きが起こり、歌については、欧米の曲に日本語の歌詞をつけたものが盛んに歌われるようになる。寺嶋陸也さんの編曲では、今日でも良く知られ歌われている唱歌や愛唱歌を、その当時の旋律・歌詞・リズムのまま歌っている点がひじょうにユニークで味わい深い。以下、寺嶋さんの解説を一部引用する。

@見わたせば(『小学唱歌集』初編、1882) ご存知「むすんでひらいて」のメロディで、フランスの啓蒙思想家ジャン・ジャック・ルソー(1712〜78)の作曲とされている。海老沢敏の『むすんでひらいて考』のなかに、このメロディは原曲とみられるルソーのオペラ「村の占師」にあるメロディとはやや違っているが、その違いが世界に広まったことと無関係ではない、という興味深い指摘がある。この歌は日清戦争の際、歌詞を変え(鳥居忱作詞)軍歌にもなっている。

A故郷の空(『明治唱歌』第一集 1888) 原曲はスコットランドの民謡で、ロバート・バーンズ(1759〜96)が採録した「ライ麦畑を通って」(Comin’ Thro’ the Rye)の歌詞で知られている。日本語の歌詞は、「麦畑」と題して「だれかさんとだれかさんが・・」と歌われるもののほうが「故郷の空」よりも原詞の意味には近い。各小節2拍目が原曲では逆付点の「ターンタタターン」というリズムなのだが、おそらく日本語に合わせて、お聞きいただくような「ターンタターンタ」というリズムに変えられている。

Bロンドンデリーの歌 アイルランド民謡。アイルランドのロンドンデリー州に伝わる旋律であったため、「ロンドンデリーの歌」と呼ばれるようになった。当初は歌詞がなかったが、後にさまざまな歌詞が付けられ、その中で最も良く知られているのが「ダニーボーイ」だろう。日本語の歌詞では、父亡き後、母の手一つで育てあげた子が戦地へと出立する情景として伝えている。

Cあわれの少女(『明治唱歌』第二集 1888) 原曲はフォスター(1826〜64)作詞作曲の「故郷の人々」(Old Folks at Home)で、プランテーションをはなれた黒人奴隷の悲しみと郷愁を歌っている。大和田建樹による日本語の歌詞でも、雪にさまよう少女の姿がどこか原曲と通じている。

D峠の我が家 代表的なアメリカ民謡として良く知られているが、原曲は1870年頃に作られたと言われている。オリジナルの歌詞では「素晴らしい大自然に抱かれた峠に家を建てて幸せに暮らしたい」と歌われるが、日本語の歌詞では「あの山を越えて、懐かしい我が家へ帰ろう」と歌われる。

■ 『五つのポップソング』

2007年2月、「栗山文昭コーラスサロン香音U」により委嘱初演された。作詩は第49回H氏賞を受賞している鍋島幹夫さん、作曲はこれまた世界的に高い評価を得ている新実徳英さん、と聞くとどんな凄い合唱曲かと思うが、このようなお二人が共同で「ポップソング」をつくりあげた、というのがこの作品のミソ。とてもお洒落で歌謡的でありながら、言葉と音には薫り高い品格が漂っている。ちなみに、新実徳英さんは無類のお酒好き。もしかして、どこかのバーでこのポップソングをピアノの弾き語りで歌っておられたとしても不思議ではなかろう。「時にはソロで歌ってもいいように作られています。大いに楽しんでくだされば、作曲者としてこの上なく嬉しく思います」とのこと。

■ 『メロディーは誰の胸の中にもある』  

2006年9月、蕨女声合唱団により委嘱初演された。詩を書いたサトウハチローは、1903年(明治36年)東京に生まれ、明治、大正、昭和の激動期を生き抜き、1973年(昭和48年)に亡くなっている。戦後の焼け野原に流れた「リンゴの唄」や秋の歌の代名詞とも言える「小さい秋みつけた」など、数多くの歌謡曲や童謡の詩を書いた。それらの詩は繊細で優しさに溢れたものが多いが、当人の人生はまさに波瀾万丈。父親への反発から、小さい頃は不良少年、その後も放蕩を繰り返したようだが、その根底には優しさや愛情の渇望があったのかもしれない。その屈折が試作のエネルギーを生み出しているように思われてならない。この組曲を作曲した信長貴富さんは、「サトウハチローの詩には懐かしさがある。詩人が見た風景は、読み手の記憶の風景として像を結ぶ。町の匂いや吹く風の感触までもが呼び覚まされる」と書いている。この「三丁目の夕陽」のような世界、これこそがアルモニレジュイの真骨頂、と確信して取り上げた次第である。経済と効率が幅をきかせ、人や自然界のぬくもりが希薄になりつつある今日、古き良き日本を再確認することも悪くないだろう。