林光の”ソング”とその魅力


2009年度 関大グリー ジョイントコンサート プログラムノート

林光の”ソング”とその魅力

西岡茂樹

林光氏は1931年東京生まれ。作曲者またプレーヤーとして、戦後の日本の音楽界を牽引してきた重要な一人である。器楽の分野でも大きな功績があるが、日本独自のオペラの創造に注力し、わけても「オペラシアターこんにゃく座」の座付き作曲家として、他に類を見ない独自の素晴らしい舞台作品を世に送り出してきた。それらの劇中歌は独立して歌われることも多い。合唱作品としては、混声合唱曲「原爆小景」は不朽の名作、合唱界の金字塔として高く評価されている。

さて、林光氏は“ソング”について、オペラシアターこんにゃく座ソング集「まえがき」に、次のように記している。
「ソングはもちろん英(米)語で歌を意味するが、英語圏を越えてグローバルに用いられる呼び名としてなら、時事小唄、歌われるライトヴァース、世相風刺歌、抵抗歌といった雰囲気も、そこには漂う。」
今宵は、林光氏の膨大な数の“ソング”の中から、2つの分野の5曲をお聴きいただく。

■岩手軽便鉄道の一月(1985年)

宮澤賢治は林光氏の終生のテーマである。この曲は、《劇団黒テント》の「宮澤賢治旅行記」という舞台作品の挿入歌。詩は、「春と修羅 第二集」に所収。キラキラ輝く銀世界を縫って、軽便鉄道が走っていく。途中に「ジュグランダー」「サリックスランダー」などの聞き慣れない言葉がでてくるが、これは「くるみの木」や「かわやなぎの木」などの学名、あるいはそれをもじったもの。最後に出てくる「グランド電柱」(背の高い電柱)にまで「フサランダー」などという名前を付けているのは賢治のユーモア。ガタゴト揺れる列車はとても楽しそう。

■サザンクロスの彼方できこえた父が息子にあたえる歌(1982年)
■銀河の底でうたわれた愛の歌(1982年)

宮沢賢治作、広渡常敏(2006年に死去)脚本・演出による《東京演劇アンサンブル》の「銀河鉄道の夜」の挿入歌。広渡氏の戯曲の書き出しはこうである。「ケンタウルス祭の夜、 ジョバンニは不思議な旅をする。 宮澤賢治の幻想四次元の空間へ、 ジョバンニと共にぼくらは旅立つ。 銀河の夜を走る軽便鉄道のかなたに、 人間の愛の愛が、 歴史の歴史が、 そして生命の生命が燃えているかもしれない。現実世界は銀河のかなたにひろがる 世界の世界の影 らしいのだが……」
林光氏はシンプルで実に美しいメロディーでつけた。心に深く沁みる名曲だ。

■告別(1976年)

原詩は、スペイン語の雑誌「第三世界」のニカラグア特集号に発表されたもので、それをヴァイオリニスト黒沼ユリ子氏が雑誌「世界」に紹介した全文に基づき、林光氏が作詞・作曲したもの。ソモサ独裁政権の腐敗と弾圧に抵抗した民衆運動の中から生まれた詩。明るい未来を確信しながら、獄中死していく男の告別の歌。

■うた(1982年)

演出家、佐藤信氏の“うたは何処で憶えた?”で始まる4連の詩。1連は母の背中で聞いた子守唄、2連は小学校で覚えた「ローレライ」、3連は昭和34年に水原弘が歌って第1回レコード大賞をとった昭和歌謡「黒い花びら」4連は「インターナショナル」と並ぶ労働歌の代名詞「ワルシャワ労働歌」、日本では1969年、東大の安田講堂が機動隊により封鎖解除された時のことを彷彿とさせる。
「告別」とならぶ林光氏の抵抗歌の代表作。現代の大学生達はこれらの歌から、歴史の突端に立っている自らの存在を確認してほしいと願っている。