私が初めて柴田先生のご指導を経験したのは、1991年の「創る会」で「遠野遠音」(no.106)を委嘱初演した時のことであった。バッハホールに颯爽と現れた柴田先生は、私たちの練習を聴かれて「もっと下品に…」などとコメントされたが、そう仰る柴田先生ご自身がとても上品な紳士だっただけに、そのアンバランス感がたまらなく愉快だったことを記憶している。 やはり作曲者と直に触れ合うというのは、作品の理解においても実に大きな影響を与えるものであり、私の中にあった柴田像は、それを契機に俄然、輝きをました。 また、日本むらおこしセンターとの共催事業として四国の東祖谷山村をテーマとする「深山祖谷山」(no.115)を委嘱初演している。この時は、作曲の準備として、柴田先生ご夫妻、田中先生と共に新緑の祖谷を訪れ、囲炉裏を囲んで酒を飲みながら数多くの民謡を聴き、風土やそこに暮らす人々と触れ合いながらフィールドワークをしたが、その体験は生涯忘れることはないだろう。 新しい合唱音楽研究会には、豊混のメンバーも大勢、参加していた。そのメンバーが原動力となり、柴田先生がお亡くなりになった1995年以降、今度は豊混本体において、柴田作品に対する取り組みを始め、いずみホールにおける追悼コンサートでの「人間について」をはじめ、定期演奏会、グローバルピースコンサート、宝塚コーラスマスタークラスなど、さまざまな場で演奏を続けている。 今回の50回記念定期演奏会においても、豊混の十八番である柴田先生のシアターピース作品を取り上げたかったのだが、演奏時間の関係から断念し、珠玉の小品である「三つの無伴奏混声合唱曲」を歌わせていただくことにした。 柴田作品は“汲めど尽きせぬ泉”であり、これからも豊混の重要な柱の一つとして、息長く演奏し続けていくつもりである。来年のレコーディングも身の引き締まる思いで楽しみにしている。日本の現代音楽の巨匠に、晩年に出会うことができた幸せを胸に刻みながら。 |