柴田純子氏による「無限廣野」プログラムノート

豊中混声合唱団第37回定期演奏会プログラムノートへの寄稿


無断転載厳禁

『無限曠野』について

柴田純子

 『無限曠野』は、創立以来ロシアの合唱曲や民謡を原語で歌ってきた東京トロイカ合唱団の委嘱作品である。合唱団のオーナー麻田氏はシベリア送りの列車から飛びおりて逃げるという体験をされた方で、ロシア語の堪能なご子息と一緒に新曲の依頼に来られた。それは1992年のクリスマスの日で、柴田がその年に作曲した合唱曲「みなまた」の話をすると、二三日後、テーマをシベリア抑留にしたいという希望とともに、辺見じゅん著『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』が送られてきた。
そこで新曲は「行って帰らなかった」人々へのレクイエムとすることになり、この本から、山本幡男の詩「裸木」を選んで中核とした。全6曲の前半をロシアの、後半を日本のテキストで構成して『無限曠野』と題したが、それはシベリアの形容であるばかりでなく、帰れなかった人と残された人の心象風景でもある。

T.「天駆ける鹿」 エヴェンキ族の神話
へラジカに盗まれた太陽を取りかえしに行って、星になったエヴェンキの若者の物語。エヴェンキはシベリアのツングース系狩猟民族で、もともと、トナカイやへラジカを捕らえて生活していた。斎藤君子著『シベリア民話への旅』による。

U.「コサックの子守唄」 レールモントフ詩、麻田恭一訳
 19世紀ロシアの詩人レールモントフは二度もカフカズに追放され、この地を背景に多くの詩を書いた。コサックは辺境に逃亡した農民が作った騎兵集団で、ロシア政府はしばしばその戦力を利用した。「剣をといでいるこわいチェチェン人」とロシアの対立は、今もなお続いている。

V.「雲に寄す」 ア・ベストゥージェフ詩、麻田恭一訳
 1825年のデカブリストの乱で、有力メンバーの一人だったア・ベストゥージェフは120人の同志とともにシベリアに送られた。いつの時代にも多くの人々が彼と同じように、自由に空を漂う雲を羨んだであろう。

この第3曲までは、毎年1曲ずつ作曲され初演された。後半3曲は1995年の作曲である。

W.「裸木」 山本幡男詩
 山本幡男は収容所でアムール句会を主宰し、昭和29年にハバロフスクで病死した。書いたものが持ち帰れなかったので、仲間たちは彼の詩句や遺書を記憶して家族に伝えた。この詩は、死期間近の山本が病室の窓からみえる裸木をうたったものだが、柴田はたびたび「これは重い詩だ、曲を作るのに力がいる」と言っていた。

X.「小垣内の」 田邊福麿 万葉集巻第九より
 故郷に帰る途中、足柄の坂で死んだ防人を悼む挽歌。万葉の昔から、国のために命を捨てた男たちがおり、残された女たちがいた。この曲のみ女声三部で書かれている。

Y.「大白道」 草野心平詩
「大白道」は終戦前年の雑誌『亜細亜』に発表された。詩人は「無限の天の大白道に」戦死した将兵たちの行進を幻視する。終曲のテキストを定めるとき、柴田はいくつかの候補の中から迷わずに「大白道」を選んだ。その時には、病院で仰臥したまま曲を仕上げることになるとは夢にも思わなかっただろう。戦争を知らない世代が、この曲から「戦いの空しさへの怒り」を受け継いでくれるように願ってやまない。

柴田純子氏による柴田南雄作品プログラムノート一覧へ戻る