「日本の四季」プログラムノート


<日本の四季>を創って                        三善 晃

国民文化祭・おおいた'98「合唱の祭典」で「大分県の生んだ作曲家・瀧廉太郎の作品による合唱曲を歌う」という素晴らしい企画のお手伝いをすることになった。廉太郎の作品集から編曲を含めて16曲を選び、春から春までの四季を綴るメドレーを構成し、作・編曲した。 23才10カ月という廉太郎の生涯は、シューベルトの31才に較べてもあまりにも短く、作品の数も決して多くはない。しかし、今回改めて作品集を見直し、初期の「日本男児」から終期の「荒磯」までのいずれの作品にも廉太郎の天与の楽才と創意が溢れ、日本語の情感が豊かに実っていることを実感した。廉太郎の作品は、自然が人を生かし、四季が時を作り、風土が歴史を紡いでいた19世紀末の日本の、初々しくも豊饒な母国語の文脈に根差した音の果実たちだ。 私も幼時、年末になると、誰が作った歌とも知らず、「お正月」を口ずさんでいた。小学生の頃は、歌詞の意味も解らずに「箱根八里」を歌っていた。そのときの心身の記憶に、私なりの原風景の一端がある。多分それは、日本の文化とは何かを自問するよすがでもあろう。 <日本の四季>を国民文化祭・おおいた'98で歌っていただくとき、それが、懐かしい歌への郷愁にとどまらず、私たち自身の文化の源流を訪ね、共感することにつながってくれればと願う。
(第13回 国民文化祭・おおいた'98 合唱の祭典 in つくみ プログラムより転載)

 

「日本の四季」が垣間見せてくれる未来への希望          西岡茂樹

21世紀最初の定期演奏会において、悲観的な諸相が地球を覆う今、新世紀の明るい光をなんとか垣間見たいとの切ない願いから、「日本の四季」を選曲した。 その思いは大きく二つある。

第一に、子供達から合唱が消えつつある。大学、高校、中学の合唱部が崩壊しつつある。児童合唱も必ずしも順風満帆とは言い難い。彼らはカラオケでマイクを持ち、AV機器をバックに一人では歌う。けれど仲間と心を熱く通わせながら、共に生きる喜びを、自らの肉声で歌うことには背を向けている。そのことと、最近、マスコミから流れる悲惨な事件の数々とは無縁ではないと思う。 これまで、青少年の合唱については、そこを専門のフィールドとしておられる方々にお任せしていた。しかし、今、私たちもまた、乏しいながらも60年の歴史から学んだ多くのことを、その方々と協働して、若者達に伝えたいと思う。豊中少年少女合唱団の旗揚げは、その一環である。

第二には、三善先生の言われる「自然が人を生かし、四季が時を作り、風土が歴史を紡いでいた」時代と較べて、はたして現代は進歩したと言えるのだろうか、という素朴な疑問。この思いは、第3ステージの「空に小鳥がいなくなった日」にも通じるのであるが、新世紀を迎えた今、そしてグローバル化が急速に進む今、私たち日本人が世界に誇れる豊かな精神文化、特に日本語がすくいとったそのふくよかで奥行きのある文化を再確認することが、強く求められていると思う。 名曲「日本の四季」は、きっとこれらの思いをしっかりと受け止め、私たちに大きな希望をもたらしてくれることを信じてやまない。

なお、最後に、童声合唱の実現に多大なご支援をいただいた、元・大阪放送児童合唱団指揮者の井伊弘先生、池田ジュニア合唱団指揮者のしぶやかよこ先生、豊中11中の岡野なおみ先生、豊中3中の井上陽侶子先生、林川涼子先生、児童の保護者の方々、そして歌ってくれるすべての子供達に心から感謝を申し上げたい。