三善晃氏ブログラムノート(無断転載厳禁)
昨年の「新しいうたを創る会」のために白石かずこさんが書いて下さった詩は二編、《あなたにサタンがいるなんて》と《ポケットの中よ》。白石さんは、《サタン》が好き、でも《ポケット》の方がいいかも、と小さく添え書きなさった。
僕は、両方すてき、とお返事し、「でも《サタン》は、日本の“おばサタン”たちが、白石さんと僕を東京都風俗倫理委員会かなんかに訴えるかもネ」と、大きく添え書きした。
しかるに、「創る会」の幹事は断固として、「《サタン》を書け!」。
で、腰がくだけてノビてしまい、そのうちに作曲期限が切れて、昨年は書けなかった、ということになった。(なんて誰が信じてくれよう)。
今年はホゾを固めて書き出しました。去年、腸捻転を起こしかけた爆笑の箇所、「ラ、ラ タンゴの談合、団五郎のダンゴ」が、今年は切なくて泣けてくる。ホント、そうだよなぁ、タンゴのチューブはどこに。
宿命を乗り越える装置なんて、どこにも無いのに、それが無いなんて誰が信じるか。どこかにそれが在ると信じるからこそ生きてゆけるのではないか。だが、在るなんて、誰が知ってる?
〈信じる〉ことと〈知る〉ことの狭間の、神にも申し上げられぬ、この哀しみ。涙腺涸らし、ノコギリ弾いて、書きました。(信じて!)。
(1997・9・6)
白石かずこ氏プログラムノート(無断転載厳禁)
ハンガリーの不思議な映画を観た。上映時間7時間、途中休けいがあったが30分もタンゴで村人が踊る場面がつづく。この映画をみたあと、わたしは酒飲みがノドがやけつくようにお酒を飲みたがるようにタンゴをせつなく欲した。もともとタンゴ好きでタンゴなら踊れる。わたしは悪魔でも神でもない、自分のなんともどっちつかずの日常に愛想がつきていたところだ。善にしろ、悪にしろクリヤーにそれを視(み)、正体を知ること、快楽、エクスタシー、これは芸術の上等につきものの恍惚である。ダンスをするように詩をかきたかった。映画に酔い、いささかワイルドになり、作曲家を困らせる作品になったと内心ヒヤヒヤしていたのに、これを作曲したとなるとモンスターは偉大な作曲家の先生の方だと感嘆、期待でドキドキです。
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