高橋悠治氏プログラムノート(無断転載厳禁)
「寝物語」解説
フィリピンのパラワン島の叙事詩「クダマン」は、横たわったシャマンによるほとんど1音上の朗唱で、ときどき登場人物にむすびついたメロディ的なうごきで中断される。このような演奏法による叙事詩は、ほかにも例がある。アイヌのユカラでもこのようなうたいかたがあるらしい。
「寝物語」は、病気の子供のちいさい声が語る詩を、箏を弾きながらききだすこころみで、箏は古代から虚空に漂う声をききだすためのシャマンの楽器の一つだった。
ここでは、歌い手はあおむきに寝て、両膝を立てる。楽譜は枕元のランプで見る。
箏は座奏。譜面灯。ほかには照明なし。
歌手の楽譜は音名でしるされていて、微細な変化が線でしめされている。
箏は地、掛、楽、割、綾などの型によって自由に演奏する。それらの型は伝統的からとられているが、楽譜全体をそのまま演奏するのではなく、さまざまな部分に注目し、もつれた糸玉をほぐすように、そこにかくれている可能性をひきだし、他の部分とむすびつけながら、変化してやまない線をおりなしていく。
スイジャクオペラ 「 泥の海 」
(藤井貞和詩集「ピューリファイ、ピューリファイ!」による)
高橋 悠治
この壊れた世界の、壊れたことばと壊れた音楽の「泥の海」から、新しいうぶ声が生まれてくる。
身体というからっぽな器(「スイジャク」してただ「在る」という原初の状態)をつらぬく声の力によって、島となり、時の巫女となり、歌姫、不良少女、五穀となって再生する女たちと、風の音のジープとなって漂流する男たちのグループが合流する、神話的創造の儀式。
声による集団作業としてのオペラの原義にさかのぼり、打つもの、ふるえるものとしての楽器の起源にさかのぼって、音楽は創られようとする。
この儀式は、詩人・藤井貞和自身の声のなかから現われ、またその声のなかに収斂するもの。二人の打楽器奏者のほかには、二人のソロ歌手に導かれる男女それぞれのコーラスが、いくつかの音具をあやつり、かんたんなしぐさと手の舞い、足踏みをともなって展開する。